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映画感想 ジャック・ターナー『悪魔の夜(1957)』

1957年 イギリス、アメリカ 監督:ジャック・ターナー (アテネ・フランセ文化センター 特集「中原昌也への白紙委任状」で観賞)

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悪魔を崇拝するカルト宗教の教祖を批判した教授が怪死。共同研究者だった心理学者ホールデンは、怪しい教祖の追求を続ける。しかし、気づかぬうちに「3日後に死ぬ呪い」がかかっているという羊皮紙を受け取ってしまう。教祖は本当に黒魔術を使うとでもいうのか?

悪魔が出てくるのに、本当にいるのか分からない!

冒頭、何かから逃げようと夜の森の道路を車で飛ばす教授。そこに、闇の中に浮かぶ煙と炎の中から、悪魔が現れます。狼とムササビを足したような容貌で8メートルくらいの巨体。DVDジャケットにもいますが、見た目は怪獣。慌てた教授は運転を失敗。ぶつかった電柱につぶされ死亡してしまいます。

この映画が独特なのは、冒頭に怪獣のような悪魔をはっきりと登場させておきながら、唯一の目撃者が死んでしまい進行する点。観客は映画の最初に教授が悪魔に襲われた一部始終を見ていますが、他に目撃者はいない。主人公たち劇中の人物からは、怪死に近い交通事故として扱われます。

主人公のホールデンも、教祖から「3日後に死ぬ呪い」をかけられた後、体調が悪くなっていき、やはり森の中で一人でいるときに悪魔に追われます。映画のシーンとしては、あからさまに悪魔は出てきます。しかし、悪魔教の教祖が催眠術の使い手であることも分かってきます。つまり、ホールデンは催眠術にかけられて幻覚を見ているだけの可能性もある。今の目線で観るとチープな着ぐるみ的でもある「怪獣のような悪魔」が、あからさまに出てきて人が襲われるシーンがあるにもかかわらず、悪魔がいるのかいないのかが曖昧なのです。

 ホラーとサスペンスを揺れ動くバランスと、その先の恐怖

 映画全体の温度も独特のバランスです。悪魔や悪魔教や催眠術が登場するオカルトホラーですが、主人公たちは悪魔の存在を知らず、呪いの存在についても、悪魔教のインチキを暴こうとしている立場で懐疑的です。つまり、悪魔教の教祖が教授の怪死に関わっているのではないかと暴こうとする立場。ヒッチコック作品のような、犯人に襲われながらも追及していくようなサスペンス映画のスタイルとなっています。

この「地に足の着いたリアルなサスペンス映画的作風」により、「あからさまな悪魔」のようなオカルトが画面に登場したときの異常さが際立ち、現実が揺れ動く感じがします。特にラスト、列車へ教祖を追跡し悪魔登場からエンドまでの流れは、異常さと可笑しさとクールが混ざって凄かったです。

そのような、現実が揺れ動く感じ、「真実は誰にも分からないが確かに人は死んでいる」という不安、といった、この映画を観ていて生じる感情。これが、キリスト教圏の人が持っているという「悪魔に対する恐怖」なのかもしれません。

ちなみに、「受け取ったら3日後に死ぬ羊皮紙」を受け取ってしまい、謎を解こうと奮闘する感覚は、『リング(1998年、日本、監督:中田秀夫)』に遺伝子が継がれている感じがしました。

 

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